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したっぱプログラマーの日記(The diary of a minor programmer)

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2008年3月の日記

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2008/03/15(土) 『地頭力を鍛える』読んでいて感じた気持ち悪さについて

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読んでいて何か気持ち悪さを感じていたのだけれど、理由がわかった気がしたので書いてみる。
この本では、地頭力を鍛えるには フェルミ推定 が良い訓練になると書いていたのだけれど、下手すると、「よーし、これから地頭力鍛えるぞ!フェルミ推定でもやるか!」
ってなりそうなのが気持ち悪かったのだ。上記のような発言は、あまりに不自然だ。

■なぜ不自然か?

フェルミ推定は本来、地頭力を鍛えるためにあるのではない。
何のためにあるのか?
それは もちろん問題を解決するためにあるのだ。問題があって初めてフェルミ推定をするのだ。なので、いきなり「フェルミ推定でもやるか!」はありえない。しかし、この本ではフェルミ推定のことばかりが強調されて、問題設定の部分にあまり触れられていない。そこに気持ち悪さを感じた。

■問題を設定できるようになるためには何が必要なのか?

割と そのままの回答で申し訳ないけれど、それは問題発見能力だと思う。問題発見能力とは言い換えると世の中を観察する力である。世の中には解決されてない問題が山のようにある。しかし、日常生活を営む上で それらは視界から除外されている。いちいち疑問に思っていたら、日常生活が成り立たないので、大人になるに従って 問題を視界から除外することを覚えたのだ。
問題発見能力とは、これらの除外された問題を再度、自分の視界に入れることだ。問題を視界から除外することに慣れてしまっているだけに これは難しい。

■問題設定能力を高めるのにはどうすれば良いか?

常日頃から、常識にとらわれず問題意識を持って過ごすこと。常に世の中を観察し続けること。以上により鍛えられるのではないかと思う。

■常に世の中を観察し続けるには?

知的好奇心を高く維持することだと思う。知的好奇心があれば、分からないことを求めて世の中を観察しようとするだろう。

■一番大事なのは知的好奇心だ!

知的好奇心があれば、世の中を観察する。
世の中を観察すると疑問が湧く。
知的好奇心が高いので湧いた疑問は解きたい。
しかし、多くの疑問は解くのに十分な材料が揃わない。
そうすると、もはやフェルミ推定で求めるしかない。
というわけで、知的好奇心があれば自然とフェルミ推定にまでたどり着く。

いきなりフェルミ推定をやろうというのは順番が間違っていると思う。

■なぜ、知的好奇心に関して割いてるページ数が少ないか?

著者も知的好奇心の重要性は認識している。本書でも それっぽいことが書いてある。しかし、知的好奇心に関して割いてるページ数は非常に少ない。対して、フェルミ推定に関しては、多くのページを割いている。これは、知的好奇心が主題になってしまうと、多くの自己啓発書との差別化が しにくくなるからではないだろうか?フェルミ推定を大きく取り上げることによって他のビジネス書との差別化を図ることができる。著者がその重要性を認識しているのに、知的好奇心についてのページ数が少ないのは、そういったマーケティング的な意味合いのではないかと思った。

1: プロダクトキー 販売 『新しいWindows プロダクトキー、Windows 7 プロダクトキー、Windows XP プロダクトキー、Windows ...』 (2012/12/28 18:18)

2: 巨人倍増 『蟻力神:http://www.kanpoebay.com/product/397.html イーリーシン:http://www....』 (2012/12/28 18:19)

2008/03/14(金) ゆで卵の行方

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先日らーめん屋でラーメンを食べたら、ゆで卵が入っていた。

それ自体は、いたって普通のことだ。

一般に、ラーメンに のっている卵は、丸ごと1個か、半分に切ったものだ。
しかし、その卵…。

どう見ても、7割、いや8割ぐらいで切ってある…。
ということは僕の影で、2割ぐらいの ゆで卵を食べている人がいるって言うことだ…。

残りの卵が行った人のことを考えると、何か申し訳なかった。

1: mynz 『ぬし、飲食店でバイトしたことないな。そういう場合は残りの2割は店員が食べるか処分して、他の客に提供されることはないのだよ。普通は...』 (2008/03/15 7:26)

2: わけん 『なんと!きっと お腹を すかせたバイトくんが この8割タマゴを作り出したんでしょうね。』 (2008/03/15 26:22)

2008/03/13(木) 『いのちの食べかた』を読んだ。

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オウム真理教を題材にしたドキュメンタリー「A」の監督の森達也さんの本。

おもしろかった。僕も含めて多くの人は、自分らの食べているものがどのような過程を経て食卓に来ているかについてあまり考えたことはないと思う。少なくとも、食事の度に考えると言うことはないはずだ。いつも忘れている。けど、僕らの代わりに動物たちを殺してくれる人がいるからこそ、僕らはお肉を食べることが出来るのだ。普段は、そのことを忘れがち。もう少し感謝すべきだなぁと思った。

それと、長くなるので書かないけれども、著者が屠畜場で働いている人から聞いた昔話が非常に感動的だったし、面白かった。

森達也さんのバックにある考えには非常に共感できる。森さんの考えは、「知らないってことは危険だ。無知は人を傷つける。」という考えだ。ただ、知っていることによって人を傷つけてしまうこともあると思う。知らないことも危険だけど、知っていることも危険だ。たとえば、核兵器の作り方は知っていると人を傷つけてしまうような気がする。「知らないこと」と、「知ってる」ことはどっちが危険なんだろう?と思った。
中途半端な知識が、一番危険なのかな?

この本を読んで、屠畜場を見学しに行きたくなった。社会人が1人で行っても見せてもらえるんだろうか?ツアーとかは、さすがにないか…。子供達の社会科見学に混ぜてもらう形でなら可能かなぁ。

30分ぐらいで読める本なので、是非、多くの人に読んでもらいたいです。

1: mynz 『「知っていることも危険」ってのは極論じゃないかと。「知らないことは危険だ」の主張は「悪意がないにも拘わらず」っていう前提があるは...』 (2008/03/14 5:45)

2: hirohiro 『僕は読みましたが、AとかA2を見たいですねえ。映画のいのちの食べ方ってのがあるはずですが(森さんは関係ないとは思いますが)、それ...』 (2008/03/14 7:45)

3: わけん 『> mynzさん> 「知らないことは危険だ」の主張は「悪意がないにも拘わらず」っていう前提があるはずだよ。なるほど。知ることによ...』 (2008/03/14 25:34)

2008/03/12(水) 1500坪で、どんだけ食える?

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昨日のエントリーのつづき。
さすがにこれで会話が終わっては寂しいと思い、粘ってみた。

「何か、ご趣味とかは?」
「いやー、ないねぇ。」

再度、玉砕orz
さらに粘る。

「じゃー、休みの日とかは何されてるんですか?」
「田んぼ耕してるねぇ。うち農家だから。」

やっときた(゚∀゚)!!!!!
運転主さんちは農家で1500坪の田んぼがあるんだとか、無学な僕は1500坪っていても どんだけのものなのかが良く分からない。

「1500坪ってどんだけ大きいんですか?」
「いや、だいぶ広いね。」

「何人分が食べられるぐらいですか?」
「うーん、いやたくさんだと思うね。」

「…。」
「…。」

「あ、あとで、自分で調べてみます。」
「うん、調べてみて。」

ということで、帰宅してから調査。

コメの採れる量ってのは、1反当り600kgあたり600kgが標準らしいです。
んで、一反は300坪らしいので 1500坪 = 5反 -> 5 * 600 -> 3000kgですね。
ということでタクシーの運転手さんは毎年約3000Kgを作ってるということになりました。

平均的家庭が、1日4合食べると仮定すると、だいたい1ヶ月で20kg、12ヶ月で240kg消費するのかな。
とすると、全部で12世帯分ぐらいかな。

2008/03/11(火) 初対面の人と盛り上がるためによくする質問 というエントリーを読んで実践してみた。

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初対面の人と盛り上がるためによくする質問 というエントリーを読んだ。
http://www.ideaxidea.com/archives/2008/03/post_403.html
このエントリーの結論を言ってしまうと、「最近のチャレンジは何ですか?」という質問が使えますよということ。

んで、さっそく使ってみた。
タクシーの運転手さんに。

結果…。







「最近のチャレンジは何ですか?」
「いやー、チャレンジしてないねぇ。」

玉砕でしたorz