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したっぱプログラマーの日記(The diary of a minor programmer)

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2008年2月の日記

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2008/02/29(金) 誕生日パーチー

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今日は同期が2月生まれの人を祝ってくれた。
会社の近くの韓国料理屋で鍋。美味でした。
しかも、2月誕生日の人は、奢ってもらえました!
皆、酔っぱらってておもろかった。
多謝多謝!

birth_cake.jpg

(いちおうプライバシー保護のため、他の誕生日人の名前が書かれた部分は伏せてます。)

2008/02/28(木) もう27ですが…

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練習場での一コマ。
練習場でよく会う おばちゃんが 先日の試合を見ていたよと言ってくれた。
しかし、試合会場にて、パートナーには すぐ気づいたものの、僕にはなかなか気づかなかったらしい。
見た目が普段とあまりに違かったので気づかなかったそうです。

って普通、そういうのって女性の方が顕著な気がするのだけれど…。

「だって、普段は、こう、幼い感じだし。」って言われちゃいました。
27にもなって幼いと言われてしまうとはorz

2008/02/27(水) 「責任」って何だか わからん。

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恥ずかしくて、なかなか言えなかったのだけれど、「責任」という言葉の意味がよくわからない。
って思ってたら、会社の後輩も分からないって言ってた。
ので、ちょっと勇気を持って言ってみた。

小さい頃から、しばしばニュースで、○○社の社長が責任をとって辞めました。という話を聞いた。
そのたびに、ずっと頭にクエッションマークがついていた。

何で、会社の不祥事があると社長が辞めるんだろう?
別に社長が辞めたからといって、問題が解決するわけじゃないし、消費者的には社長が辞めても特に嬉しいこともない。
いや、まあ社長に問題があっての不祥事ならば解決することもあるんだろうけど、前任者のツケっていうパターンも結構多い。

社長に問題があっての不祥事だった場合、代われる人材がいるのだとしたら、その人は社長職を退いた方が良いのだろう。しかし、それを「責任をとる」って言い方にして会社を辞めるのには違和感を感じる。その場合は、「責任取るから辞める」じゃなくて、「社長職をする能力に欠けていたから辞める」ってことだと思う。

「責任をとって辞める」って言うと、その部分の事実を正確に表していない気がする。「いや、俺の能力が低いとか、そーいうんじゃないんだけど、俺が辞めれば みんなの気が済むでしょ。だから辞めるよ。」的なニュアンスを感じてしまう。
っていうか、実際「責任をとる」の意味は「みんなの気を済ませるために」的な意味なんだろうか?

だとすると非合理的な行動をサポートする言葉だなぁ。非合理的な国民感情があるからこそなのかも知れないけど。

1: hirohiro 『確かにありますねー。不祥事=謝罪のシーンですね。まあ、TVはそういう意味で「同じ絵」を使っているかもしれません。責任とは、いわゆ...』 (2008/02/28 24:11)

2: mynz 『これは具体的なケイスをあげるか、当事者にならないとなかなか理解が深まらないと思うよ。実際に、上下関係で成り立っている組織において...』 (2008/02/29 22:31)

3: わけん 『> hirohiroさん> mynzさんレスありがとうございます。ほんと、いつもいつもコメントいただき感謝しています!お2人の話...』 (2008/03/01 14:58)

4: mynz 『責任を取るっていうのは、何もトップの人間が不幸に陥ればよいのではなく、組織のためには己の犠牲も厭わない覚悟と行動にあり、その大き...』 (2008/03/01 25:32)

5: わけん 『> 責任を取るっていうのは、何もトップの人間が不幸に陥ればよいのではなくすいません。その通りだと思います。> 組織のためには己の...』 (2008/03/01 26:21)

6: hirohiro 『ちょっと遅くなりましたが。自分が損して解決を図るのは、わけんさんのイメージだとしても、確かに、責任を取りきれてない感というのはあ...』 (2008/03/03 23:56)

7: わけん 『> 責任を知るには、責任を持ってしまうようなことをやるのが> 一番いいかもしれませんよね(笑)そうかもしれません。しかし、責任の...』 (2008/03/03 26:13)

2008/02/26(火) 何故、本屋に行きたくなるんだろう?

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「ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話」というエントリーを読みました。
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-408.html


僕は、Amazonで本を買うことが多い。というのも、ネットだと本の評判を調べてから購入することができるから。
もはや、他人の評判なくては本を買えない批評依存体質になってしまっている。
たまに本屋へ行っても、「この本の評判はどうなんだろう?」って気になってしょうがない。


だったら、本屋に行かずネットだけですませば良いのだけど、なぜだか本屋に行きたくなるときがある。
何で本屋に行きたくなるんだろう?と思っていたのだけれど、この「19歳の女の子」エントリーにあった、


『 本屋と言うのは、ほぼ全ての本が平等であり、どれを買うかは本人が調べ、考え、選び、そして購入に至ります。本屋の面白さはここにあると私は思っています。 』


というのが、その答えなのかなぁと思いました。
うーん、もっと端的に言うと宝探し的な面白さがあるからかな?


このエントリー読んでいたら、本屋に行きたくなりました。

1: mynz 『書店は書店で特定の読んで欲しい本を平積みにしたり、ポップを作ったりしているさ。これはある種の評価の提示だよ。だから、Amazon...』 (2008/02/26 26:25)

2: わけん 『> 書店は書店で特定の読んで欲しい本を平積みにしたり、ポップを作ったりしているさ。> これはある種の評価の提示だよ。だから、Am...』 (2008/02/27 23:22)

2008/02/25(月) ブログとコントリビューションと人脈

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レバレッジ人脈術』を読んだ。
その名の通り、人脈に関する本。

僕の人脈に対する考え方は、ほとんど「待ち」だ。自分が魅力的な人間になることができれば自然と人脈はできるだろうという考え。魅力的な人間でなかったら、お近づきになろうとした相手も嫌だろうし、つきあいも短く終わるだろうし。人脈を広げる努力をする時間があったら、自分の魅力とか引き出しとかを高めたり、増やしたりした方が有意義だろう。って思ってたんだけど、この本でも、同じようなことが書いてあった。

著者は人脈を作るために重要な要素としてコントリビューションというのを挙げている。つまり相手にどれだけ貢献できるかと言うこと。この本では、他人に貢献できるようなひとになるために、


  • インプット(ex:読書とか)

  • 魅力的なプロフィール(ex:ワイン通、ダンサー)

  • 情報発信(ex:ブログ、メルマガ、本)


を大事にしなさい。と言っていた。

著者曰く、情報発信をすることによって、それを見た何人かの人に「共感した」「おもしろい」と思ってもらうことができ、さらに何人かの人に「会ってみたい。」と思ってもらうことができる。らしい。

たしかに そう思うのだけれど、最近のブログのやりとりで それとは違うブログの効果を感じた。それは、不特定多数の人に「この部分貢献できますよー。」っていうことを伝えるという効果。相手に貢献して欲しい部分を伝える効果とも言える。ちょっと厚かましい話ですけどね。

ブログを使えば、不特定多数の人に対して、自分はこんなことを知っていて、こんなことが出来ます。けど、こんなことは出来ないです。そして、こんなことがしたいです。っということを効果的に伝えることが出来る。読んでいる人は、「じゃー、これは知ってる?」「これが便利だよ!」という貢献が出来る。人間には貢献したい欲求が備わっている(と僕は思っている)ので、貢献しやすい環境さえあれば、どんどん価値のある情報が集まってくる。

最近、みなさんの情報に助けられっぱなしだったので、そんなことを感じた。そして、ブログとか広く言うとネットは相互扶助を引き出す効果があるんじゃないかなぁと思った。そーいえば、そもそもネットのインフラ自体が相互扶助だったような気がするし。

1: 淫インモラル 『淫インモラル:http://www.spy001.com/pro_651.html インモラル:http://www.spy00...』 (2013/12/19 11:06)