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したっぱプログラマーの日記(The diary of a minor programmer)

2008/02/26(火) 何故、本屋に行きたくなるんだろう?

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「ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話」というエントリーを読みました。
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-408.html


僕は、Amazonで本を買うことが多い。というのも、ネットだと本の評判を調べてから購入することができるから。
もはや、他人の評判なくては本を買えない批評依存体質になってしまっている。
たまに本屋へ行っても、「この本の評判はどうなんだろう?」って気になってしょうがない。


だったら、本屋に行かずネットだけですませば良いのだけど、なぜだか本屋に行きたくなるときがある。
何で本屋に行きたくなるんだろう?と思っていたのだけれど、この「19歳の女の子」エントリーにあった、


『 本屋と言うのは、ほぼ全ての本が平等であり、どれを買うかは本人が調べ、考え、選び、そして購入に至ります。本屋の面白さはここにあると私は思っています。 』


というのが、その答えなのかなぁと思いました。
うーん、もっと端的に言うと宝探し的な面白さがあるからかな?


このエントリー読んでいたら、本屋に行きたくなりました。

1: mynz 2008年02月26日(火) 深夜2時25分

書店は書店で特定の読んで欲しい本を平積みにしたり、ポップを作ったりしているさ。
これはある種の評価の提示だよ。だから、Amazonにしか他人の評価がないわけじゃないし、全ての本が平等にあつかわれているわけでもないさ。

ちなみに自分は取り寄せの難しい洋書や技術書以外はAmazonでは買い物はしない。だって自分が良く行く本屋に少しでも儲かって欲しいもん。

ところで、件のブログ記事の言うことは共感できる。ネットの存在感がどんどん増してくると、個人とかIdentityって何なんだろうと思うことがよくある。

本を切り口にすれば、世の中こんなに書籍があふれているのに、ネットの影響なのかみんな同じ様な本を読むようになっている。なんかシステムに絡み取られている様な感じで、ほらあのMatrixの世界観だよ。だから、自分はどこかで「繋がらない」って意識を持たないとつまんなくなっちゃう。

2: わけん 2008年02月27日(水) 午後11時22分

> 書店は書店で特定の読んで欲しい本を平積みにしたり、ポップを作ったりしているさ。
> これはある種の評価の提示だよ。だから、Amazonにしか他人の評価がないわけじゃないし、全ての本が平等にあつかわれているわけでもないさ。
そー言われてみると、そうですね。ただ本屋の評価よりもネットの評価を重視している自分がいます。
本屋が本に対して平等でないということは、宝探し感を受ける主な要因は、本屋の一覧性の高さなんだろうなと思いました。

> 個人とかIdentityって何なんだろうと思うことがよくある。
ネットが没個性化を加速させているってことですか。
というか、個が解けあっているというか。

> 自分はどこかで「繋がらない」って意識を持たないとつまんなくなっちゃう。
非グローバル化を重視しているってことですね。
たしかにどこかで「繋がらない」ことを意識しておかないと、どんどん個が平坦になっていきそうです。
人は本能として「繋がる」ことを欲する生き物で、しかも、食欲や性欲と違って「繋がり欲」が過剰になったとしても、
すぐに不具合が見えてくるものではないので、「繋がらない」ようにしつづけるのは、なかなか難しそうですね。

今まで人類が多様性を保ててきたのは、何かそういう生物的な仕組みがあったんでしょうか?
遺伝子って多様性の維持に役立つんですかねぇ?突然変異という仕組みが役立ってるのかなぁ?
それとも単純に地理的な要因のみで多様性を維持してきたんですかねぇ?


疑問ばかりですいません。
コメントを読んでて、「攻殻機動隊2nd Gig」の最後の方で、300万の難民の記憶とゴーストをネット上のストレージに退避させようとした際に、「それで個を保てるのか?」みたいなことを素子が言っているのを思い出しました。


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