▼ 2008/02/27(水) 「責任」って何だか わからん。
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恥ずかしくて、なかなか言えなかったのだけれど、「責任」という言葉の意味がよくわからない。
って思ってたら、会社の後輩も分からないって言ってた。
ので、ちょっと勇気を持って言ってみた。
小さい頃から、しばしばニュースで、○○社の社長が責任をとって辞めました。という話を聞いた。
そのたびに、ずっと頭にクエッションマークがついていた。
何で、会社の不祥事があると社長が辞めるんだろう?
別に社長が辞めたからといって、問題が解決するわけじゃないし、消費者的には社長が辞めても特に嬉しいこともない。
いや、まあ社長に問題があっての不祥事ならば解決することもあるんだろうけど、前任者のツケっていうパターンも結構多い。
社長に問題があっての不祥事だった場合、代われる人材がいるのだとしたら、その人は社長職を退いた方が良いのだろう。しかし、それを「責任をとる」って言い方にして会社を辞めるのには違和感を感じる。その場合は、「責任取るから辞める」じゃなくて、「社長職をする能力に欠けていたから辞める」ってことだと思う。
「責任をとって辞める」って言うと、その部分の事実を正確に表していない気がする。「いや、俺の能力が低いとか、そーいうんじゃないんだけど、俺が辞めれば みんなの気が済むでしょ。だから辞めるよ。」的なニュアンスを感じてしまう。
っていうか、実際「責任をとる」の意味は「みんなの気を済ませるために」的な意味なんだろうか?
だとすると非合理的な行動をサポートする言葉だなぁ。非合理的な国民感情があるからこそなのかも知れないけど。
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1: hirohiro 2008年02月28日(木) 深夜0時11分
確かにありますねー。
不祥事=謝罪のシーンですね。
まあ、TVはそういう意味で「同じ絵」を使っているかもしれません。
責任とは、いわゆる組織のトップである人間が、何かやらかしたりしたこと(任務の不正確さ?とか、問題行動など)を責められるってことですね。
逆にいうと、上司と部下がいる場合、上司が責任を取るのが当たり前だと考えます。なぜそうなのかは、ここではスルーしておきますが(新人がプロジェクトの責任を問われてもそもそも、話にならないですしね)、
上司の管理責任とか、ケツは俺にところにもってこいとか(笑)、色々言い方はありますが、現場=作業者と管理=非作業者?が役割が分離していないと、大きな組織では機能しない気がします。
さらにいえば、大きな組織ではないところだと、ほとんどニュースにならないだろうし、またなっても扱いは小さいような。
という意味での社会問題って意味はあるかもしれません。
1万人の大企業がいて、トップが1人で、
あとは支社長や部長という人間がいると思いますが、
その管理職クラスの人間をコントロールするのがトップのような気がします。
で、不祥事とかって、そもそも大きな力で、
押さえ込もうとしても(そうしているかは邪推ですが、少なからず大小は問わず、問題は隠すというよりも、防ぐ。または解決するようにするものだと思いますので)おさえられない。
そしてクローズアップされるような流れもあるかもしれません。
トップが辞任するのは、やはり意味があるかと思います。
どうあがいても、その会社のトップである人間の下で、起きたということは逃げられない。
だからこそ、強い責任があるわけで、
でも、それだけ権力というか、力もあるわけですね。
そんなところですが、どうでしょう?
2: mynz 2008年02月29日(金) 午後10時31分
これは具体的なケイスをあげるか、当事者にならないとなかなか理解が深まらないと思うよ。
実際に、上下関係で成り立っている組織において大きな不利益が生じた場合、トップの入れ替えは効果があるラジカルな方法なんだよ。
プロ・スポーツや軍隊でもそうだけど、どんなに優秀な兵隊を抱えていても、指揮官が無能なら戦には勝てない(cf: 読売巨人軍)。また、優秀な部隊てのは優秀な指揮官によって作られる。だからこそ会社においても社長の存在は大きい。
そして、組織のトップに立つ人間が多大な権限を保持できるのは、責任を担保にしているからに他ならない。
しかし、実際に組織に不利益が生じた場合、トップはそれをなかなか認めようとしないことがしばしば。そして「責任」を逃れようとするトップと、責任を矛にトップを突き上げる当事者(社員や株主)との間で押し問答になる。
経営者が「責任を取る」といった場合、それは自身の無能さや不手際を認めたことに他ならないから、ゲイムとしては、お偉いさん方の負け。すんなり行けば得られたキャリアや名誉に傷がつき、退職金も被害の保証に埋められても仕方がない。責任を通して突きつけられるのは周りの要望。トップの行動が不十分でしかなかった場合は突き上げが収まらない。
しかし、政治家なんかが顕著だけど、なかなか責任をとらないトップが多いのが今の世の常。
つまりトップは世間が思っているよりもずっとおいしいのかもね。
3: わけん 2008年03月01日(土) 午後2時58分
> hirohiroさん
> mynzさん
レスありがとうございます。
ほんと、いつもいつもコメントいただき感謝しています!
お2人の話でトップを変えることに、問題を解決したり、問題の再発を防いだりする効果があることは納得できました。
その上で、まだ納得がいかない部分が。
「責任をとる」って聞いたときの僕の思い浮かべるイメージを単純に言うと、
「自分が損することをして、問題の解決を図る」
というイメージなんです。
「自分が損することをして」の部分は、mynzさんの話だと、
「得られたキャリアや名誉に傷がつき、退職金も被害の保証に埋められる」
っていう部分だと思うんです。
しかし、今まで与えられていた権限や、不祥事の大きさと比較すると、名誉に傷がついたり、退職金を保障に使ったりというのは とても小さなことなような気がするのです。つまり、「責任が取り切れていない」印象があるのですね。
と言ってはみたものの、そもそも、たかだか個人がとれる責任なんて たかがしれているのかも知れません。
世の中の「責任をとる」の大半は、責任を取り切れてないのかも知れないなぁと思いました。
4: mynz 2008年03月01日(土) 深夜1時32分
責任を取るっていうのは、何もトップの人間が不幸に陥ればよいのではなく、組織のためには己の犠牲も厭わない覚悟と行動にあり、その大きさや形式もケイス・バイ・ケイスでしょうに。
それにトップに立つような人間にとっては信用・信頼が非常に重要になるから、極端に不義理な対応を行うとその後のキャリアにも響くし、ペナルティは大きいよ。
わけんはとんでもなく極悪なケイスを想像しているのかも知れないけど、トップが単独で犯罪的な暴走をしたのであれば、民事、刑事に事もあり得る。もっとも、それは責任問題以前だし、いくら社長といえども、明らかにその人の責任の範疇を超えた権限を発動しようとすれば事前に周りも黙ってないだろうしね。
5: わけん 2008年03月01日(土) 深夜2時21分
> 責任を取るっていうのは、何もトップの人間が不幸に陥ればよいのではなく
すいません。その通りだと思います。
> 組織のためには己の犠牲も厭わない覚悟と行動にあり、
僕の「責任とる」に対する違和感は、いままでメディアを通して見てきた 責任をとる人たちに対して 己の犠牲も厭わない姿勢 を感じることが少なかったことにあるんではないかと思い始めました。
それこそ、mynzさんの言うように
> なかなか責任をとらないトップが多いのが今の世の常。
ということ だからかもしれません。
己の犠牲も厭わない姿勢 と改めて言われると、責任をとるって相当難しいことだなぁと思いました。追い詰められるほどに、我が身がかわいくなってしまいます。
6: hirohiro 2008年03月03日(月) 午後11時56分
ちょっと遅くなりましたが。
自分が損して解決を図るのは、わけんさんのイメージだとしても、確かに、責任を取りきれてない感というのはありますねえ。
というよりも、そこまで感情を持っていけないというのも原因なような気も。
例えば、どこぞの会社やどこぞの公的機関が何かやっても、自分と関係ないところなら、
自分も声を上げないし、スルーできてしまうんですね。
前、岐阜県で裏金問題が発覚した時は、
巡り巡ると、結局岐阜県の話ではなくて、
お金の動きを見ていくと・・・。
別に無関係じゃないなあという話がありました。
こういうのって、1イベントなり1つの出来事を
どこまで自分に落としこめるかという、世界観(笑)の話になりそうです。
僕は性悪説を唱えたいんですけど、
でも、企業のトップなり、組織のトップの人間って、馬鹿じゃできないわけで、相当の
頭があるんじゃないかと。
そういう人が、頭を下げて(自分とはほとんど面識もない人間がやったことかもしれないとか)いることで、結構いいじゃんとか思ったりします。
でも、mynzさんの言われるように、
ケースバイケースのような気もしますね。
責任を知るには、
責任を持ってしまうようなことをやるのが
一番いいかもしれませんよね(笑)
7: わけん 2008年03月03日(月) 深夜2時13分
> 責任を知るには、責任を持ってしまうようなことをやるのが
> 一番いいかもしれませんよね(笑)
そうかもしれません。
しかし、責任の重さを十分認識せずに責任を持ってしまって、
その結果、いざというときに逃げ出しちゃった、なんてことになりそうな気がして怖いです。
っとコメントを書きながら、自分が社長になって、大きな借金を抱えて、夜逃げして、っていう画を想像していたら、何となく「責任」っていう言葉が腑に落ちてきた気がしました。