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したっぱプログラマーの日記(The diary of a minor programmer)

2007/02/16(金) 天才肌か、努力派か

雑談

会社の先輩のAさん(仮称)は、最近、
「Aくんは、天才肌だから、〜」
「やっぱ天才肌やな〜」
と言われ、天才肌キャラになっています。

しかし、ご本人曰く、
「僕は、努力派ですよ。」
とのこと。

僕からみると、Aさんは天才肌。
なんで、本人と周りの認識に差があるのだろうと考えてみました。

たぶん、Aさんは、努力する人なんだと思う。
しかし、人が
「あの人、努力家やな〜」
言う時というのは、努力量にたいして効果が低い人に向かって言うことが多い気がする。

つまり、絶対的な努力量に対して、努力派と判断するのではなくて、
絶対的な努力量が多く かつ 努力対効果が低い
という人に対して、人は、「努力家」とか「努力派」とか言うのだと思う。

たとえ絶対的な努力量が圧倒的に多くても、その人がその努力に見合う以上の成果を挙げていたら、人はその人のことを努力派と称さず天才肌と言うのだと思う。
そういう観点から考えると、やっぱりAさんは天才肌なんだな。

1: hirohiro 2007年02月17日(土) 午後1時10分

同感です。

最近ですが、ショウペンハウエルの言葉かどうかは定かではないですが、
人に対する評価とか、人を認めるとか、なんらかの人の行為とかに対する言葉とか、
今回では努力家か天才肌かですけど、

そういう言葉って、言葉を発した人間がどうかが問われている気がしてなりません。

どこまで言葉に意味を込めているかは分からないですが、
天才といった瞬間は、自分は「天才じゃない」くてAさんは天才だ。
「努力家」といった瞬間は、自分は「努力してないけど、それなりの効果は上げている」といったことになるんでしょうね。

僕には、おそらく努力して結果をだす人は、
天才と呼ばれたら、Aさんは怒ってくるようなっ気がしました(笑)

僕は本楽家ですね(笑)

2: NO村 2007年02月17日(土) 午後8時28分

確かにそうですね!

Aさんは人の見てないところですごく努力をして、人の前で結果をだす。

努力をしているのを知っているのはAさん本人だけ。

まわりの人には成果しか見えていない。

こんな感じで認識に差が生まれるのではないかと思いました。

故障したスポーツ選手が活躍すると、「努力の人」として報道されることが多い気がします。

怪我から復帰し、活躍するまでの努力は報道などで皆知っていて、結果も出すと努力の人になるのでしょうか。

自分や標準に対して、能力が低い(怪我からの復帰等)人の成果は努力。

自分や標準に対して、能力が高い人が成果をだすと天才肌。

天才肌だったとしても謙遜で「努力家です」という人が多いことからも、努力は能力が何かの標準以下の人がするものだと感じました。

僕は努力して日本語の勉強します。言いたいことがまとまりません…

3: わけん 2007年02月17日(土) 深夜0時40分

>hirohiroさん
確かに、言葉って言うのは、本人は相手を評価しているつもりでも、むしろ発話者の思想とか、世界観とかが表れますね。

他人を評価するつもりが、いつの間にか自分が評価されるというか。

>僕には、おそらく努力して結果をだす人は、
>天才と呼ばれたら、Aさんは怒ってくるようなっ気がしました(笑)
確かに、Aさんは、天才肌と言われてちょっと不機嫌そうでした。悪いことしたかなぁ。

>僕は本楽家ですね(笑)
本楽家という言葉を初めて聞きました。ググってみて、意味を理解しました。hjrohiroさんは、読書好きなんすね!


>NO村さん
>こんな感じで認識に差が生まれるのではないかと思いました。
確かに、こんな風にして認識の差が生まれますね。
んで、本人としては「何で、わかってくれないんだろ?」ってなる。

自分の姿は自分しか見ていないことが多いってことや、人によって事象の捉え方が違うっていう事を常に頭に入れておかないと、簡単に認識の差って生まれてしまう。
気をつけたいものです。

そして、僕も日本語の勉強努力中ですorz


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