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したっぱプログラマーの日記(The diary of a minor programmer)

2008/05/27(火) 『完全自殺マニュアル』を読んだ

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山形浩生氏の『要するに』という本を読んだときに、「みんな死ぬのに死について考えていない。考えているのは"鶴見済"ぐらいだ。」というようなことが書いてあった(うろ覚え)。

そう言われてみると、僕も長いこと死ぬことについて考えていない。

というわけで、鶴見済氏の『完全自殺マニュアル』を図書館で借りてみた。図書員がいぶかしげな目で見てたけど気にしない。

自殺の方法論の部分はトリビア的な感じで、それはそれで面白かった。

けど、この本で1番印象に残ったのは最初に書いてあった死に対する作者の考え方だと思う。何で自殺者がこうも多いのかについて解説している。

1つには、自分1人がいなくなったところで社会は何事もなかったかのように回り続けるという事実。1人の命は地球1個より重いとか言うけれども、そんなことはなくて1人の命が失われても地球は何事もなかったかのように回り続ける。

もう1つは、生きていても毎日が平凡な繰り返しだということ。なので、生きていてもたいしたもんではない。

まあ、割とそうかも。自分1人がいなくなったら周囲に多少波は立つし、毎日はそれなりに平凡でないと思うのだけれど、ちょっとネガティブシンキングすると鶴見氏の言うように思えなくもない。

けど、幸いなのか何なのか、僕の遺伝子が正常な証拠だと思うのだけれど「死」のことを考えると気持ちが悪くなってくる。何でか知らんけど、死にたくない!死は怖い!って思う。本能かな?だから、まあ自殺は怖いからできんね。

まあ、死ぬのは怖くてできないのだから、できるだけ楽しく生きたいものです。

1: Ackey 2008年05月27日(火) 深夜3時07分

またずいぶんと懐かしい物を。

死を考えることは生を考えることに繋がる。
何故人は生きるのか。
生きているというのは奇跡的なことであって死んでいるのが宇宙全体を考えたら当たり前であると言うようなことを、らもさんは言ってた。
だから死んでも当たり前に戻るだけと思うか、せっかく生きているんだから何か使用と思うかは人によりけりでしょうが。

ま、わしゃ自殺なんぞする以前に過労死の方がより現実的なわけですが。

2: わけん 2008年05月29日(木) 深夜1時26分

> またずいぶんと懐かしい物を。
お、Ackeyさんも読んだんですか。奇遇ですね。

> 生きているというのは奇跡的なことであって死んでいるのが宇宙全体を考えたら当たり前であると言うようなことを、らもさんは言ってた。

僕も、最近、そう思うときがありますね。

> ま、わしゃ自殺なんぞする以前に過労死の方がより現実的なわけですが。

お大事に-_-


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