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したっぱプログラマーの日記(The diary of a minor programmer)

2008/05/16(金) 自分は完璧主義?

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先日参加した5日間のワークショップについて。画を描いていると、どうしても自分の性格が出る。裏を返すと画を描くと自分の性格が分かる。



僕の場合は自分って完璧主義なところがあるなぁということがわかった。っていうか前から薄々分かってたことだけど、画を描いていて 今まで以上にそれを感じた。



僕は画を描くとき、形が正確にとれていないと気になってしょうがない。だから形がとれるまでは細部を書き進められない。それゆえ当然 周囲より書くペースが遅い。



周りの方々の中には、形が多少不正確でも気にせず ずんずん楽しんで書き進めている人もいた。人それぞれ多種多様な描き方があるよねってことであって、形を気にしすぎることはあまり気に病むことではないのだけれど、ただ、僕が思うに完璧主義には1つ大きな弊害がある。



それは完璧にこだわるあまり、フィードバックのスパンが長くなってしまうことだ。



もうちょっと具体的に言ってみる。画で言ったら、完璧に仕上がるまでは人に見てもらいたくないと思ってしまう。完璧主義者は完成に時間が掛かるから見てもらうまで相当時間が掛かる。下手すると フィードバックまでにあまりに時間が掛かるので、フィードバックを受ける前に途中で嫌になって投げてしまう。



逆に非完璧主義者は、どんどん描いて、フィードバックしてもらって、修正して、フィードバック、修正、フィードバック、修正と、良いリズムができあがる。フィードバックまでの間隔が短いからモチベーションも維持しやすい。



もう1つ具体例。プログラムでも同様のことが言える。完璧主義者は完璧になるまで、ソースやソフトを公開したがらない。しかし、非完璧主義者は間違ってても未完成でも気にしない。早くに公開して、どんどん周りに見てもらって反応を見る。結果、後者の方がモチベーションが維持でき、最終的には良いものができる。



世の中の大半の完璧主義と言われる人は、要は臆病なのだ。少なくとも僕の場合は そうだ。自分を、良く見せたくてしょうがなくて、間違ってたり未完成だったりするものを公開した際に、「えー、ださーい。バカじゃねぇ。」とか言われるんじゃないかとビクビクしているのだ。



今回の5日間のワークショップでは そんな自分を乗り越えるべく、形の取れてない画だったり、未完成の画だったりしても気にしないようにしようと思ってのぞんだ。そーいうのを気にしないで描くと、楽しくて、のびのびと描けて、結果的に良い画になった。



しかし、人物画を描いたときは、かっこよく描きたいとか、時間内に完成させたいっていう思いがでてしまって、伸び伸びと描けなかった。がっかり。



最近、ダンスをやっていて「人が見てるから うまく踊りたい!」などと思うと体が硬くなって思うように踊れないことに気づいた。そのときの感覚とよく似ている。



ただ、ダンスにおいては、最近は「人が見ていても平常心を保とう!」と思って自分と闘うのが楽しかったりする。「人に見られてるから うまく踊りたい!」などと思って体が硬くなっている自分に気づくと、「わけんも人間なのね。」って自分で思って、自分で微笑ましくなってきて、笑ってしまう。



自分を良く見せたいというような欲求は人を成長させる原動力ともなるけれども、時にそれは自分を食いつぶす。今回のワークショップで、そのことを強く再認識できたし、その欲求との付き合い方が少しうまくなったような気がした。

1: よっきー 2008年05月17日(土) 午後0時11分

このブログをつかっていろいろ書いているし、
それをよんでいると「わけんも人間なのね。」、
と良くおもうよ。面白いよ。

みんなどっかしら完璧主義というかこだわりがあるよ。
これを個性として容認することで、
自身への信頼が生まれ、他への信頼が芽生える。
そうしたらより心が開けると思う、最近。

2: わけん 2008年05月18日(日) 午前9時22分

> それをよんでいると「わけんも人間なのね。」、
> と良くおもうよ。面白いよ。
お、ありがとう!

> みんなどっかしら完璧主義というかこだわりがあるよ。
> これを個性として容認することで、
> 自身への信頼が生まれ、他への信頼が芽生える。
むむ、理解が難しい…。

自分は自分の完璧主義を個性として容認していない気がするなぁ。
最近は完璧になりたいからこそ、一度、完璧主義やこだわりを捨てている気がする。
こだわりを捨てるこだわり。


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