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したっぱプログラマーの日記(The diary of a minor programmer)

2007/01/23(火) 『子供に「どうして勉強しなきゃいけないの?」ときかれたら、何と答えるか?』のエントリーを読んで頭ひねって考えたこと。

雑談

まずはこちらを参照お願いします。

ブログの著者は、勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明することを提案しています。
そのメリットとは、

(1)もっと楽しく遊べる
(2)もっと楽しく仕事ができる
(3)もっとすばらしい友達をたくさんつくれる
(4)騙されてひどい目に合いにくくなる

の4つ。

大人の僕は、
「なるほど、勉強するのはすごい良いことだ!」
って思えたのですが、題目としての
『子供に「どうして勉強しなきゃいけないの?」ときかれたら、何と答えるか?』
に対しての答えとしては、適当ではないのではないかと思いました。

子供に(1)〜(4)の理由を説明して、果たして納得してもらえるでしょうか?
(1)〜(4)といったことは、大人になるにつれて徐々に実感できることなので、子供に対して説得力に乏しいのではないでしょうか?
『勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明する』とありますが、大人にとっては、"直接的"ですが、
子供にとっては、あまり直接的でないような気がします。


さて、そもそも、ここで言う
『子供に「どうして勉強しなきゃいけないの?」ときかれたら、何と答えるか?』
という命題は、つまり、
『子供が勉強嫌いのようなのだが、何と言ったら勉強してもらえるか?』
っていうこととニアリーイコールだと思います。

そこで、
『子供が勉強嫌いのようなのだが、何と言ったら勉強してもらえるか?』
について考えます。

子供の世界では、勉強できることは、あまり直接的なメリットはありません。
それよりも、漫画に詳しかったりだとか、ポケモンをいっぱい持ってたりだとかの方が、子供世界では直接的なメリットがあります。

では何をもって、勉強してもらうかとなると、勉強ができるようになることによる直接的なメリットが少ない以上、これはもう勉強することそのものの魅力に頼るしかないと思います。
とすると、結論としては、ありきたりですが勉強の楽しさを知ってもらう。

僕が先の質問を受けたら
「勉強したくないならしなくてもいいんだよ。だけど、勉強ってすごい楽しいんだよ。」
っと答え、あれこれ趣向をこらして勉強の楽しさを伝える努力をします。

しかし、"あれこれ趣向をこらして勉強の楽しさを伝える"という部分が一筋縄ではいかない。
これには、こうすればいいという明確な答えがあるわけではない。

ただひとつ、「勉強ってすごい楽しいんだよ。」を言ってる本人が本気で勉強を楽しんでいる必要性がある、ということは言える。
勉強嫌いな子供を持つ家庭の親は、たいてい勉強嫌いだ。
なんとなく周りの家庭とか自分の家庭を見ていて、そう思う。

いつになく、長くなったんで、誰も読んでくれなそうだけど、結論↓

『子供に「どうして勉強しなきゃいけないの?」ときかれたら、

まずは、自分が勉強大好き人間になって、その上で、
「勉強ってすごい楽しいんだよ。」
って答える。

1: nori 2007年01月24日(水) 午前6時27分

長期的にはエサで釣るよりも対象そのものを好きにならないと続かないらしいですが…。

コーチング的には「勉強するとどんないいことがあると思う?なんの役に立つと思う?」と逆質問して、相手が少しでもイメージがわいたようならそれを膨らませるようにメリットを述べていくんでしょうね。結局は自分の中のメリットと勉強が結びつけばいいんで。

そんな私はよく「勉強すれば女の子に質問されるしモテるよ」と言ってます。

2: 2007年01月24日(水) 午前9時40分

すごい納得しちゃいました。お子っちゅーのは、時に疑問に思わんでくれい・・・って大人を考えさせることよくありますよね。。へたな言い訳・ウソは見抜くし。深い意味無く、ただ聞いただけ、かもわからんですが。。。

自分の仕事にも通じるものがあります、今日のお話。何で虫歯治さなきゃいけないの?ってやや怒り口調で言われます。なんとか避けたいってのがひしひし伝わります・・。
説明したところで、痛くなってもいい!!!とか開き直られちゃったりして。
わけんさんなら、お子様になんと答えますか?アドバイスを〜!!

3: わけん 2007年01月24日(水) 午後11時33分

>noriさん
>「勉強すれば女の子に質問されるしモテるよ」
noriさんみたいな子供には、効果絶大そうですねw

勉強をいっぱいしたnoriさんの最近のモテぶりには目を見張るものがあります。

>のさん
noriさんの意見を参考にするなら、
「虫歯を放っとくとどうなると思う?」
「痛くなっても放っといたらどうなると思う?」
と、誘導してゆき最終的に、
「痛くて痛くて何も食べられなくなっちゃうんだよ。」
とか
「最後には、全部歯がなくなっちゃうよ。そしたら、かっこ悪いでしょ。〜君の、大好きな〜ちゃんからも嫌われちゃうよ。」
という結論に持っていくかなぁ。

4: タラコッティ 2007年01月24日(水) 深夜0時10分

「勉強」って思うからしんどいんやと思うな。
わしも勉強せなって思ったら何にも手につかないわ、いまだにww
でもこれは自分にとって必要って思えたらそれに対する取り組みはするな。

算数とか国語が勉強っていう考え方がどうなんやろ?と思うわけですよ。
勉強嫌いな子はきっとそう思ってるんでしょうね。

やりたくなくてもやらなければいけないことって小さいときには結構あるもんで。
大好きなサッカーとか野球とかでも新しいことをおぼえてそれを反復練習することは全部勉強なのだよと。
本質を直球ストレートに突くってのはいかがでしょうか?
当然楽しい勉強も楽しくない勉強もあると。
食べ物の好き嫌いのようなもんでね。

別にやりたくなきゃやらなくてもいいよと。でも最低限のことくらいは知ってないとみんなと楽しい会話やら遊びできないよね?
野球のルール知らない人と野球やっても楽しくないでしょ?

つまりは、いまのうちに色々やってた方がいろんな人と友達になれるし、あとで自分でやりたいことを決めるときに選択肢が増えるって意味で重要なんだということをかみくだいて教えてあげるのが必要なのだろうね。

5: ぴかにぃ 2007年01月24日(水) 深夜2時56分

いろいろと考えたのですが,
"勉強しなくても良いんじゃない?"
で,よいのでは?

もちろん,そこから後のフォローの方が大事なのですが.

6: わけん 2007年01月25日(木) 深夜0時05分

>タラコッティさん
算数とか国語を勉強することと、野球のルールを覚えることを、同列に捉えてもらえれば、いわゆる"勉強"、が嫌いになることもないのかもしれませんね。

>つまりは、いまのうちに色々やってた方がいろんな人と友達になれるし、
>あとで自分でやりたいことを決めるときに選択肢が増えるって意味で
>重要なんだということをかみくだいて教えてあげるのが必要なのだろうね。

この重要性を子供に伝えること、また、それを子供がモチベーションにすることっていうのが、相当難しいだろうなぁっと思いました。


>ぴかにぃさん
>もちろん,そこから後のフォローの方が大事なのですが.

フォローをどうすべきなのかが難しいですね。

いろいろ考えて、子供のうちは、短期的なエサで釣って、勉強してもらうのでもいいのかな?っと思いました。

それこそ、「勉強すれば女の子に質問されるしモテるよ」などと言って。

そーやって、短期的なエサに釣られて勉強しているうちに、視野が広くなり、世界が見えてきて、先の(1)〜(4)のようなメリットも実感できるようになってくるんではないかと思います。

7: Ackey 2007年01月30日(火) 午後11時24分

エサで釣るのも良いんですが・・・

勉強しないでみんなバカばっかりになったら、国の経済はガタガタになるし、いろんな新しい製品も出てこないし、これから地球環境が大変になっていく中でみんなで力を合わせて何とか良くなるように知恵を絞らなきゃ行けない、自分一人ぐらいやらなくたって、ってみんなが思ったら誰もやらなくなっちゃう、だからみんなが今一生懸命勉強しなくちゃ行けないんだ、

っていう、「義務」についても一度は諭すべきだと思います。全員が理解してくれるかどうかは別として、自分のためだけじゃなくて、みんなのためにやらなくちゃいけないんだという自覚を持つように教育して欲しいものだと思います。小手先の甘い話だけじゃすぐにボロが出そうで・・・

あんまり行き過ぎると「お国のため」になっちゃいますが・・・「地球のため」なら左の人にも受け入れられる?!

ニートとかフリーターとかも、本人が良ければそれで良い、彼らの人生だというのは的はずれで、「おまえらちゃんと働かないとその分まで支えなきゃ行けない俺たちが迷惑なんだよ、この穀潰しが」という位の意見も出てしかるべきなんですが・・・今時の日本人、「義務」嫌いですよね。

8: わけん 2007年01月30日(火) 深夜1時31分

やっぱり小さい頃から、「国のため」とか「地球のため」とか、教えた方がいいですかねぇ。

僕個人としては、小さい頃に、そーいうことを言われたものの、さっぱり理解してなかったので、小さい頃から、そのようなことを言うのが良いのかわかりません。

あ、けど、「世界には餓死している人もいるんだよ!」と言って、決して給食は残さない子でした。

とは言うものの、「世界には餓死している人もいる」という事実にリアリティがあったわけではないく、なんかよく分からないけど、給食を残さないのが義務というか、当然という感じでした。

子供に理解してもらえなくても、倫理とか義務とかを説く事は大切なんですかねぇ。ある意味、洗脳みたいな感じで。

9: Ackey 2007年01月31日(水) 午後10時05分

倫理とかって、理屈じゃないですからねぇ。

見えない所で悪いことしても、神様・仏様が見てる、って言われても、実際そんなもんは居ないわけで。でも何となくしちゃ行けないような気がする。宗教教育って言うのはそういうことじゃないかなぁ。

社会文化学的にある民族が上手くやっていくための抑止回路というか。でもそれは凄く経験的な積み重ねによる物が大きくて、タブーとされている物は結構何らかの裏付けがあったりします。まあ、全くの迷信という物もあるわけですが・・・

で、子供には、ある程度強制というか、怖いことを言ってあげる人がいないと駄目ですね。カッパが川にいて、尻こ玉抜かれるというのは、もちろん完全な迷信ですが、それによって川に近付かなくて溺れずに済んでいる子供がたくさん居るわけです。今は大人がなめられすぎていて、そんなこと言っても誰も信じないしバカにされる。かといって本当のことを理解させるには時間がかかるし、勝手な自己判断で暴走する奴もいるかも知れない。

上で言っている、理詰めの話と相反するようですが、社会の中の自分、公の中の個といった観点で見ていくと、昔の人は良いこと言っていたんだなぁ、ということになるわけで。
変な、戦後の自由や、権利や、中途半端な科学知識で塗り固められた戦後の空気を捨てて、見直すべき所は見直していかないと、ホントに根無し草になっちゃうんじゃないかと。

10: わけん 2007年01月31日(水) 午後11時28分

全く、そう思いますね。
中途半端な科学よりも、神様・仏様・河童さまの方が、長い期間、社会の仕組みとして使われてきたものなんで、
より確かで益になるものだと思います。

現在の日本は、宗教教育が廃れてますね。
右よりの発想になってしまうかもしれませんが、戦争に負けて天皇が神でなくなったのが大きな要因なのではないかと思います。
それ以来、日本には神がいない。

そんなときこそ、仏教とかキリスト教とかが頑張らなくてはならないのに、それらも腐敗してきている。
仏教なんて、葬式仏教って言われる始末だし。

先日、「がんばれ仏教!」という本を買いました。
そんななかでも、頑張っているお寺があるというのです。
まだ、未読ですが読むのが楽しみです。


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