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したっぱプログラマーの日記(The diary of a minor programmer)

2008/04/15(火) 隠喩の存在意義

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ブログの表現に色気を加えたくて『レトリックのすすめ』を読んでいる。

その中で「喩える」という項があった。喩えにも何種類かあって代表的なのは直喩と隠喩だ。んで、その項を読んでいたときに思ったのだが、直喩の方が圧倒的に分かりやすいのに、なぜ隠喩ってものがあるんだろう?下手したら、喩えであることに気づかないじゃないか。

んで、思ったのは隠喩には"気づき"の快感があるんだろうなってこと。独力で「あ、これは、こーいう喩えなのね。」って分かるのが脳にとって快感なんだと思う。隠喩の度に、いちいち「あ、これは、こーいう喩えなのね。」って意識することはないけど、脳みそくん的には、その"気づき"に対して快感物質であるドーパミンをバシュッと出してるんじゃないかなぁ。

直喩だと、最初から答えが出ているのでドーパミンは出ない。

脳科学者である茂木さんの本によると、ドーパミンってストレスを乗り越えたときに よくでるらしいので。

もしそうだとしたら、コーチングの効果と同じだなぁと思った。あ、あと、今日やってたロンドンブーツの番組で「アレ」の名前を思い出すって企画もそうだなぁ。思い出せそうで思い出せない「アレ」の名前を、頑張って思い出す企画。思い出せたときの出演者の方々の表情は非常に気持ち良さそうで 演技以上のものを感じました。

1: mynz 2008年04月16日(水) 午後8時09分

暗喩には移譲(delegate)の働きがあり、その言葉が相手にどう咀嚼されるかは不定であることがキモなんじゃないかなぁ。

養老孟司が言うように、両者の間にバカの壁が立ちふさがり、全く会話が通じない場合もあるだろうし、通じたような振る舞いをしても、実際両者の頭の中に浮かぶ意味は全然違う場合もあるだろうし。

とはいえ、人間は言語というプロトコルを用いて相互通信を行っても、機械のような厳密に意味の確立と復元が必要な訳じゃないので、そのノイズ的な暗喩からイメージの広がりや多様性を持たせることができ、それを豊かさとして感受することもできるし、言葉の上では少ない情報量でも、暗喩によって伝わり復元される情報量は言葉にできないほど膨大だったりするんじゃないかなぁ。

2: わけん 2008年04月17日(木) 深夜0時12分

暗喩が受け手の理解にたいして多様性を産むということは分かります。
しかし、言葉というものは自分の持っている情報を相手に伝えるものです。
そこに多様性というか不定性が持ち込まれるっていうのは非合理的だと思うのです。

なので、暗喩は"多様性を産む"という面がありますが、その部分はリスクだと思います。
そのリスクを敢えてとるのは、"気づき"の快感というメリットがあるからではないかと僕は思います。

と言いつつも、もしかしたら人間は多様性とか不定性に魅力を感じ、暗喩は その人間のツボを刺激するものなのかも知れない。とも思います。けど、自分には その感覚がないというか、うまく説明できないです。


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