僕は怒るのが苦手だ。怒ると人間関係が気まずくなるってのもある。けど、それだけじゃなくて怒りに任せて発言した後に、実は自分の間違いだってことが発覚すると すごく恥ずかしいからだ。
けど、楽に怒れるときもある。それは、主語が「我々」というように主体がボケるときだったり、「○○さんがかわいそーじゃん」というように主体が他人だったりするときだ。今まで気にしてなかったけど、森達也さんの『世界が完全に思考停止する前に』を読んだり、最近身の回りで起きた出来事によって、これはあかんなぁと思い始めた。
森達也さんの主張を、僕の理解で簡単に要約すると、人ってものは主体がボケると攻撃的になりやすいってこと。んで、それが行き過ぎると最終的には戦争を起こす要因になりうるってこと。
「主体がボケると攻撃的になりやすい」ってのは非常に納得できる。また「我々」とか「○○さんが」ってのは、所詮自分の想像の産物だであって不確定な物だ。それをもとに論を展開するのは非常に危うい。
これからは、「自分は○○のように感じている」ってことと「自分の周囲の人間は、○○のように感じているように私には感じられる。」ということを明確に分け、また後者のようなことを発言する場合は、あくまでも自分の推測であることを強調していこうと思った。
1: 淫インモラル 『淫インモラル:http://www.spy001.com/pro_651.html インモラル:http://www.spy00...』 (2013/12/19 11:30)